危機の経営
サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション
危機の経営
著者:吉川 良三
畑村 洋太郎
出版社:講談社
出版日:2009/9/17
Amazon内容紹介
『危機の経営』サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション
サムスンから見えてきた日本企業の真の問題
10年間で世界最大手の総合電気企業に躍り出た韓国サムスン電子。その躍進を中核で支えた元役員と失敗学の権威が、日本の製造業にいま欠けているものを指摘する
著者略歴
畑村 洋太郎
1941年東京生まれ。東京大学工学部機械工学科修士課程修了。東京大学大学院工学系研究科教授を経て工学院大学グローバルエンジニアリング学部機械創造工学科特別専任教授。東京大学名誉教授。工学博士。専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学。ナノ・マイクロ加工学。2001年より畑村創造工学研究所を主宰
吉川 良三
1940年生まれ。1964年日立製作所に入社後、ソフトウエア開発に従事。CAD/CAMに関する論文を多数発表し、日本能率協会専任講師を務めるなど日本のCAD/CAMの普及に貢献した。1989年に日本鋼管(現JFEホールディングス)エレクトロニクス本部開発部長として次世代CAD/CAMシステムを開発。1994年から韓国三星(サムスン)電子常務としてCAD/CAMを中心とした開発革新業務を推進。帰国後、2004年より東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センターにて日本のものづくりの方向性について研究
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
目次
| はじめに |
| プロローグ サムスンの躍進と日本企業の自信喪失 |
第1章 | 李健熙会長の危機意識 |
| 人生を変えた一本の電話 |
| なぜ大改革が必要だっとのか |
| 「質を重視した経営」へ転換 |
| 役員としてサムスンへ迎えられた経緯 |
| 「3PI運動」 |
| 私の誤算 |
| 遅々として改革が進まなかった理由 |
| 畑村コメント トップの視点・トップがやらなくてはいけないこと |
第2章 | IMF危機 |
| 「IMF危機」とはどんな危機だったのか? |
| グループ会社を整理統合 |
| 「おまえはいらない」 |
| 厳しいコストカット |
| 「危機感」と「危機意識」の違い |
| 畑村コメント 自社の強みを知る |
第3章 | 組織と人のイノベーション |
| 「人の革新」がサムスンを変えた |
| 人材開発に尽力 |
| 「地域専門家」の育成 |
| 相手の文化を知らずに物は売れない |
| 粗悪品を持ち込んで技術情報をキャッチアップ |
| 多くを語らずに自分で考えさせる |
| 本社の役割、現場の役割 |
| 畑村コメント トップダウンとボトムアップ |
第4章 | プロセスのイノベーション |
| なぜプロセス・イノベーションが必要だったのか |
| 「PDM」と「スーパーセット」 |
| 「デジタルものづくり」が後押し |
| 「串焼き鳥方式」から「刺身方式」へ |
| 「材料費削減運動」の成果 |
| サムスン流のものづくり |
| 「見える化」 |
| 部品情報も共有 |
| 畑村コメント 「デジタルものづくり」の意味 |
第5章 | 製品のイノベーション |
| オリジナル製品の開発 |
| 「ベンチマーク方式」と「リバースエンジニアリング」 |
| 「ジャパン・プロジェクト」 |
| 「日本追従」から「新興市場」へ |
| 「グローバル化」の意味 |
| 価格を決める二つの方法 |
| 「製品の質」は消費者が決める |
| 「サムスン」という名前を売る |
| 品質とコスト |
| VIPセンター |
| モノ中心のイノベーションが利益の源泉にならない時代 |
| 畑村コメント プロダクト・アウトとマーケット・イン |
第6章 | 日本が生き残る道 |
| トヨタはなぜ赤字になったのか |
| 自動車をなかなか買い換えなくなった日本人 |
| 世界一安い、二〇万円の小型自動車が暗示する未来 |
| 新興市場の可能性 |
| 「表の競争力」と「裏の競争力」 |
| サムスンの弱み、日本企業の強み |
| 日本企業生き残りへの道 |
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| おわりに |
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