いやですねえ。「デフレーション下のフラッシュ・マーケティング」なんてカタカナだらけのタイトル。でも、「通貨収縮下の閃光型販売促進」というのも中国語みたいですしね。
最近、フラッシュ・マーケティングという言葉をよく目にします。フラッシュ(Flash)というのは「瞬間的」といった意味で、店舗ではフラッシュ・セールスという販促手法は昔から使われていました。お店が開店する10時から11時までの1時間だけ、ワゴン上の「ハンドバッグが1000円!売り切れ次第終了」とアナウンスすれば、顧客はいま買わないと損をしたような気になって、ついつい衝動買いしてしまう。
ネットでは、そのリアルタイム性(適切なタイミングで緊急性が強調できる)を最大限利用して、たとえば、衣料品販売サイトが朝9時に会員客にメールを送り、「今日の12時からXYブランドの20%割引セールを開始。商品数が限られているので完売次第終了・・・」と告知して、お昼休みに突入次第すぐにサイトにアクセスしなくては損するような気持ちにさせる。
こういったフラッシュ・マーケティングの代表格(?)として登場したのが、割引クーポンの共同購入サービス。専用サイトで、たとえば、エステサロンの通常1万円のコースだが、24時間以内に50人集まれば、5割引で5000円の割引クーポンを買うことができる・・と告知する。24時間以内に50人集まらない場合には、この取引は成立しない。だから、このクーポンが欲しいひとは、メールやツイッター、その他のソーシャルメディアを使って、友人、知人、赤の他人に告知する。結果、50人以上集まって取引が成立すれば、消費者は大幅に割安な商品やサービスをゲットでき、共同購入サービスを提供する企業は、売上の何割かをスポンサー(たとえば、エステサロン)から手数料として受け取る。スポンサーは、宣伝広告費をかけずに多くの見込み客を獲得することができる(そのうちの何割がリピートしてくれるかは別にして)。
割引クーポン共同サービスの元祖といわれる米グルーポン(Group+Coupon=Groupon)は2008年11月の創業後、わずか7ヶ月で黒字転換した(売上の50%をスポンサーから手数料としてもらっているそうだから、ある意味、当然)。2010年の売上は5億ドルを越えると予測されている。このペースで成長を続けると、グルーポンは創業2年で売上10億ドルに到達するのではないか? そうなると、ネット・ベンチャー企業のなかでは、10億ドル達成最短スピード記録となると雑誌「フォーブス」は書いている。
ちなみに、著名ネット・ベンチャー企業が創立後売上10億ドル達成にかかった年数を順に並べると・・・・1994年創立のアマゾンや1998年創立のグーグルは5年、1976年創立のアップルは8年、1984年創立のデルは9年かかっている。
グルーポンのビジネスモデルは、短期間のうちに巨大な利益を計上できる。が、台頭するソーシャルメディアをうまく利用しているという以外、そのアイデアには新しい要素はほとんどない。共同購入システムについては、日本でも、ネットプライスドットコムが2000年から、商品の購入申し込みをする人数が多くなればなるほど価格が安くなっていく手法を展開していた。また、割引クーポンでは、リクルートの無料クーポン情報誌「ホットペッパー」が2002年ころには大人気を得ていた。
リクルートは、紙媒体がふるわなくなってからサイト上でクーポン発行をしていたのだから、グルーポンのビジネスモデルを考えつくことができる環境にはいたはずだ。・・・・・て、まあ、後知恵で言うのはたやすい。結局のところ、過去の成功体験とかすでにできあがった組織やシステムをいったん壊して新しいアイデアを採用することは、ある意味、自分自身を否定することになるから、なかなかできない。
もっとも、グルーポンの未来は、明るいようで、けっこう暗い。
なぜなら、非常にまねしやすいビジネスモデルだから。すでに、アメリカでは200件、海外では500件(そのうち中国で100件)の類似したサイトが登場している。日本でも9月現在で39件の類似サイトがあり(朝日新聞9/7/10)、そのなかには、リクルートが7月に始めた「ポンパレード」もある。
模倣されやすいということは競争が厳しいものになるということで、競争が激しくなれば、クーポン割引率を他より高くする、希少価値ある内容にする、あるいは手数料を低くする・・・ということになる。いまですら50~70%の高い割引率なのにこれより高くする。あるいはスポンサーに請求する手数料を低くするということになれば利益率は低くなる。また、希少価値ある内容にするためには、各地域の名品・珍品を探したり、高級レストランの承諾を得るために交渉したりする営業マンが必要だ。
グルーポンがシカゴで創業した当時には7人の営業マンが毎日100件電話してスポンサーを探したらしい。2010年のいまでは、本社に250人の営業マンと70人のコピーライターがいて、消費者を魅了するような企画と告知の仕方に「足」と「知恵」を使っているという。それでも、各地域ごとの楽しい企画を探り出すには、地域のことがよくわかっている人間が必要だ。こういったことが、この新しいビジネスモデルがいまの収益性を保ちながら成長発展するのを妨げる要因となる。
グルーポンは、この障害を、海外の、あるいは、各地域の小さな共同購入サイトを買収することで乗り越えようしている。げんに、日本に進出するにあたっては、同業の日本企業「クーポッド」を買収した。グルーポンの社長は日経MJのインタビューに答えて、「グルーポンは街のガイドでもある。街で何が面白いか、最高の物やサービスについて情報を提供し、消費者が街を発見する手伝いをする。そのため販売するクーポンの対象は調査して厳選する」
まさに、日本のリクルートがホットペッパーを通じて、リアル店舗との交渉で学んだノウハウのはずだ。このノウハウを活かせば、「最も成長の速い企業」などまったくこわくない。でも、そのリクルートの「ポンパレード」はサイトを空けた初日からつまづいてしまっている。某レストランの1万円のコースを50%割引の5000円とするクーポンを販売したのだが、このコースの内容が通常4800円のコースと同じだと苦情が出たのだ。「テーブルにバラをちりばめたり、写真撮影、フルーツがつくなど特別サービス」が付いているから5200円余分にいただきます・・・・はないだろうと批判された。
やっぱり、企画内容を調査して厳選して、それを消費者を魅了するように伝えるためには、営業マンとライターに人件費がかかる。それがこのビジネスモデルの弱点です。
そういった意味で、早く大手になって、全国ベースの有名店と組むことができれば、収益性の高いビジネスが可能だ。グルーポンは最近になって、全国ベースの衣料品大手チェーンGapの25ドルで50ドルの買い物ができるクーポンを販売。全国で同じクーポンを発売したのは、これが初めてだ。一日で44万1000枚売って、(通常の取引どおり50%の手数料を得ているとしたら)グルーポンは5500万ドルもの収入を得たはずだ。しかも、金券を安く売るということは、企画に頭を悩ますこともない。ただし、スポンサー企業が、あとで分析して、こういった形で獲得した新規客の大半がバーゲンハンターで、通常の値段ではリピート購買をしてくれないということが判明すれば、二度とは採用してくれないだろう。
デフレの話に移ります。
2008年の金融危機以降、米国やEUでは一時デフレ傾向になったりもしたのですが、いまは反対にインフレかともいわれたりして、1990年代後半から10年近くもデフレ状態にあるのは日本だけ。経済学者の間では、金融政策だとか財政政策だとか、あるいは、輸出依存の日本経済はもともとデフレ体質にある・・・とかいろんな議論があるようですが、ド素人の私にはわかりませーん。ただ、ひとつ、日本だけデフレが長期にわたって続いている要因のひとつとして「デフレ期待が生まれてしまった」とする説があったので、それについて書いてみたいと思います。
経済学者さんたちはわざと難解な言葉を使っているのではないかと疑いたくなりますが、「デフレ期待」というは「デフレ慣れしてしまった」というわかりやすい言葉に変えることができます。つまり、デフレが当分の間続くと企業も消費者も、つまり日本人全体が考えるようになってしまった。だから、企業は投資をせずに貯金にまわし、消費者も消費せずに貯金にまわす。
そして、最初は10%割引でも感激したのが、いまでは、そのくらいの割引くらいでは動こうとはしない。もう少し待てばもっと安くなると消費者は思っているわけです。そこに、共同購入サービスが登場して、50%だとか70%の割引がされるようになると、20%や30%ではばからしくて買う気も起こらなくなる。
話しはまた少し飛んで、経済学に「マネー・イルージョン(貨幣錯覚、money illusion)」という考え方があります。20世紀初頭にケインズが作った言葉で、1928年にはアービン・フィッシャーがこの言葉をタイトルして一冊の本も書いています。
人間はお金を、実質値ではなくて名目値で判断するというもので、たとえば、賃金が2%下げられると嫌な気分になるが、賃金が2%あげられれば、そのときのインフレ率が4%だとしてもハッピーになるというものです。伝統的経済学でいうところの合理的な経済人なら、インフレ率を加味して、名目賃金は2%上がったとしても実質賃金は2%下がったことになる。だから、最初の会社提案と同じように嫌な気分になるべきだ。でも、大半のフツーの人間はそうは思わないということです。同じように、デフレで物価が下がったのだから、給料もそれだけ下げてもいいだろうとか、給料は前年と同じでも上げたようなものだ・・・などどいう論理は通じない。人間は、給料が下がれば、不安になって、消費をせずに貯金をするようになってしまうわけです。
実質値でなく名目値で判断するということを、もっとわかりやすく書き直すと、人間は持っているお金がどれだけの物を買うことができるかではなくて、お金の額(数字)だけで、お金そのものの価値を判断しているということです。つまり、そもそも、お金そのものには何の価値もなかったはずなのに、長い間使っている間に、その金額(数字)の大きさで嬉しくなったり嫌気がさしたりするようになっているということです。
2009年に、ドイツの経済学者と神経科学者が協力してfMRIを使って実験をし、マネー・イリュージョンを起こしているのは、脳の前頭前野腹内側部 vmPFC(Ventromedial Prefrontal Cortex)にあると発表しました。ここは、論理的思考の中核となる前頭前野のなかで報酬系とつながっているところで、報酬度がどのくらいあるか期待(予測)していると考えれられています。実験では、まず最初に、24人の被験者が、一定の仕事をして賃金を獲得し、そのお金を使ってカタログから商品を購買します。次に、賃金が50%増になりますが、その分、カタログに掲載されている商品も50%値上がりします。被験者には、最初から2つの異なる状況を説明して、名目賃金とか実質賃金とかも説明して、実質的には2つの状況において実質賃金に変わりはないことも理解してもらったうえで、fMRIを使って実験をしました。
そして、5回実験をくりかえしても、賃金(名目賃金)が高いほうが、vmPFCは活性化したのです。
行動経済学では、マネーイリュージョンは、ひとつの情報だけをキュー(手がかり)として判断する便利で簡単な意思決定方法であるヒューリスティクスのひとつだとみなされています。そして、名目賃金だけに注目して、それが上がれば(大きくなれば)よしと判断しているのがvmPFCだというわけです。つまり、論理的には「わかっちゃいるけど」、実感として「大きいことは良いことだ」と脳は判断しているわけです。
これはマーケティングのひとつのヒントになります。
たとえば、家電のエコポイント。これは、購入額の5%とリサイクル相当分をポイントとして購入者に付与して、次の製品購入時に使えるようにする制度として始まったわけですが、5%割引とか8%割引とか書くよりは、エコポイント7000点とか10000点と書いたほうが、よりお得な気がします。vmPFCが大きいほうが良いのだ!と感じているのでしょう。宝くじだって、一等一億円のほうが(たとえ、当選確率が1000万分の1から一億万分の1に落ちたとしても)に当選一等5000万円よりも、ずっとずっと魅力的に思えるのです。
これは、コピーライティングのヒントになりますが、また、デフレ慣れすればするほどデフレ地獄(まあ、デフレスパイラルというかっこいい言葉もありますが)に陥る理由でもあります。数のイリュージョンです。数の魔力です。
この数のイリュージョンから、売り手企業はどうやって抜け出したらよいのか? そこらへんを、神経経済学の実験を調べながら、次回は書いてみたいと思っています。それも、なるべく早く・・・。
参考文献: 11. Christopher Steiner, Meet The Fastest Growing Company Ever, Forbes 8/12/10 2.格安クーポンサイト好調、朝日新聞 9/7/10, 3.クーポン共同購入の米グルーポン、日経MJ,9/6/10, 4.Bernd Weber,et.al., The Medial Prefrontal Cortex Exhibits Money Illusion, PNAS March 31, 2009, 5. Inflation felt to be not so bad as a wage cut, EurekAlert 3/23/09
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