時間をおいしくするだけだって!
「エビスは時間をおいしくします」というエビスビールの新しい広告は、はっきりいって理解に苦しむ。広告の基本にあるブランド戦略がまったくもって不可解。長い年月と広告費用をかけて築いた「ぜいたくなビール」というブランドの位置づけを捨て去るつもりなのだろうか?
新しい広告の「時間をおいしくするビール」には他のブランドとの差別化などまるでない。どのビールだって、時間をおいしくする・・・と主張できる。小泉今日子と竹内結子を取り替えたら、サントリーのザ・プレミアム・モルツのCMかと思ってしまう。「ぜいたくなビール」といえば、ビールを飲まない人たちだってすぐにエビスを思い浮かべるだろう。消費者の心に占めるエビスブランドのポジションを--長い年月とお金で築いた貴重なポジションを、どうしてこうもあっさりと捨て去ってしまうことができるのだろうか?
日経新聞(2009年2月5日)の記事によると、「08年には主軸のエビスをはじめ、販売量を落としましたが」という記者の質問に、サッポロビール社長がこうコメントしている・・・「エビスでいえば『ちょっとぜいたくなビール』という宣伝が、この生活防衛の時代に『うんとぜいたくなビール』と思われた反省はある。見せ方の変化が必要で、年明けから『エビスは時間をおいしくします」という新しいCMにしたところ、これまでとまったく違うお客様の反応を感じる。エビスは前年より11%伸ばす計画だ」と答えている。
麻生首相は「新聞は間違ったことを書く」と、新聞を読まないのは漢字が読めない(^-^)からじゃなくて、新聞が発言を正確に報道していないからだと批判したようだ。サッポロビールの社長のコメントも、すべてがきちんと書かれていない可能性はある。だが、もし新聞記事に近い発言があったとしたら、はっきりきっぱり反論したい。「ちょっとぜいたくなビール」が、エビスが長年努力して勝ち取ったブランド・イメージであり、ブランドのポジションではなかったのか?
不況で社会の様子が景気の良いころとは変わっていることは事実だ。だが、定額給付金の使い道を尋ねた日本経済新聞の調査によれば、31%は旅行・レジャーに使うと答えている。日々の生活費の補填が27%、ローンの返済が6%、貯蓄や投資が23%となっている。つまり、旅行・レジャーと貯蓄・投資にまわした54%はある程度生活に余裕があるひとたちだ。将来への不安から、洋服やバッグを買うのは控えても、グルメな高級飲食料品を買うお金くらいはある。たしかに、(昔のエビスの広告に登場したシーンのように)高級料亭に通うなど、あまりに目立つ消費をするのには罪悪感を感じるかもしれない。だったら、、小泉今日子に「(いろいろあるけど)たまには、ちょっとぜいたくなビールを飲もうよ」と言わせればいい。あるいは、「ぜいたくなビール飲んでもいいかな? いいよね?(許されるよね。だって頑張ってるんだもの)」でもいい。(たまには自分にご褒美あげて、そして、明日から頑張ろうよ!)と、不確実な社会に生きる我々日本国民にエールを送るメッセージにすればいい。
「ちょっとぜいたくなビール」はエビスのブランド・スローガンだ。長寿ブランドは、よほどのことがなければ、ブランド・スローガンを変えないものだ。1965年に発売されたオロナミンCは「いつもハツラツ」だし、 1962年発売のリポビタンDは「ファイト・一発!」。1926年発売で最も長寿なのは「チョコレートはめ・い・じ」・・・だ。ブランドスローガンを変えるということはブランド・イメージやブランド・ポジションを変えることであり、それは、ブランドを保有する企業にとっては非常に重大な決断のはずです。景気がよくなったら、「ぜいたくヴァージョン」に変えればいいなんて、まさか、まさか、そんな軽いノリじゃないとは思うけど・・・・。
サッポロビールが今回したことは、マーケティング史上の大失敗のひとつに挙げられるコカコーラの失敗を思い出させる。コカコーラは生誕100年を迎えた1985年4月に、コーラの味を変え「ニューコーク」として発売した。これに対して、消費者が大反対運動を起こし、結局、3ヵ月後には、元のコークを再発売するハメになっている。なぜ、こういうことになったかとえいば、ライバルのペプシが60年代にヤングなイメージを強調したキャンペーンを展開し、コカコーラを年寄りが飲むコーラだと消費者に思わせるのに成功した。なおかつ70年代後半には「ブラインド・テストで味比べをすると大半のひとがペプシのほうがおいしいと答える」というキャンペーンを始め、コカコーラの市場シェアが徐々に侵食されるようになってきた。あせったコカコーラ経営陣は、「消費者の味覚が変わったのかもしれない」と考え、新しい味のコークを発売したのです。
コカコーラのNo.1の地位に迫りくるペプシ・・・この図式は、エビス対サントリーのザ・プレミアム・モルツの関係にちょっと似ている。プレミアムモルツに比較して、エビスは「おじさんが飲む高級ビール」のイメージになっていることがエビスを不安にさせたかもしれないとしたら、この点も、ペプシ対コカコーラの対決に似ている。いずれにしても、ザ・プレミアム・モルツは積極的な広告投資が効いて、2008年には前年対比で21%と売上を伸ばし、反対にエビスの売上は9.7%減少してしまった。経営陣としてはあせったと思います。
コカコーラはニューコークを出す前に、むろん、大規模な消費者調査をした。そして、後から分析すると、消費者は味を変えることに反対していたことを示唆するようなデータもあった。が、問題は、調査をする前から、コカコーラの経営陣は、「味を変えないとペプシには勝てない」というメンタリティに陥っていたことだ。よって、変えることを支持するようなデータばかりに注目してしまったのです。こういった行動経済学でいうところの確証バイアスは消費者調査にはよくあることです。
2008年にプレミアム・モルツが勝ったのは、ただ単に、広告投資を多くしたからだけかもしれない。そして、エビスビールの売上が今度のキャンペーンで上がるとして、それは、ただ単に、積極的に広告投資したからだけかもしれない。資生堂のツバキが大々的にマス広告を展開して市場シェアを増大したように・・・。問題は、キャンペーンをやめた後のことです。
コカコーラは、「味を変えることへの反対運動」騒動のおかげで、アメリカ市民がコークのブランド価値に目覚め、「瓢箪から駒」で、陰がうすくなっていたブランドをよみがえらせるという幸運な結果を手に入れることができた。エビスはどうでしょうか? 消費者がエビスはぜいたくなビールだということを忘れてしまわないうちに、スローガンを復活することを切に祈ります。
続いて・・・
サッポロビール社長が言うところの「この生活防衛の時代」には、「エビスは時間をおいしくします」なんてまだるっこい曖昧なメッセージではなく、安心感を与える強いメッセージを送ることの必要性について、書いてみます。
博報堂生活総合研究所調査(2008年12月発表)によると、不安に感じている日本人は74.2%でこれは過去最高だそうだ。「不安」という感情は「恐れ」という感情に関係している。人類の祖先である二本足で歩いた猿人が登場したのは400万年前ごろではないかといわれている。そのころにはすでに発達していただろう基本的感情には4つあるといわれる・・・1)恐れ、2)嫌悪、3)怒り、4)親が子供に感じる愛。こういった感情が発達したのは、当時の猿人たちの脳(大脳辺縁系)にとっての関心事は、1)生存することと 2)子孫を増やすことの2つだったから・・・。たとえば、「恐れ」の感情は肉食の大きな動物の危険を察知して逃げるために、そして、「(ムカムカするような)嫌悪感」は身体に毒になる食べ物を体内にいれないために必要だった。
「不安」という感情は「恐れ」の前段階だ。たとえば、狩をしていたら背後でゴソゴソ音がする。もしかしたら、自分たちを襲おうとする野獣?それとも風で揺れる木の葉?いやもしかしたら、毒ヘビかも? 恐れるべき正体がはっきりしないから、逃げるべきか、「怒り」を感じて攻撃すべきかわからない。だから、足がすくんで動けない・・・これが不安の状態だ。
現在の経済危機下にある消費者は身がすくんだ状態にある。だから、安全な巣である洞窟にこもる。こういう状態にある消費者に企業がすべきことは、「大丈夫だよ、ただの風の音だよ。安心して外に出たらいい」とか「外にライオンがいる。でも、きみなら大丈夫。他のみんなと力をあわせればライオンをきっと倒すことができる」と肩をポンと押して足を一歩踏み出させてあげることだ。
こういう時代だからこそ、心強いメッセージを頻度多く送ることが重要だ。消費者は身がすくんだ状態にずっといたいわけではない。肩を押してくれる誰かを待っているのだ。その誰かになれれば、消費者とその一瞬だけでも感情的につながったことになる。不況は長寿ブランドを確立するビッグ・チャンスなのだ。「このご時世に『うんとぜいたくなビール』と思われた反省はある」というサッポロビール社長のコメントからは、どこか不安と弱気が感じられる。弱気になった企業には心強いメッセージは送れない。
ぜいたくに思われていいじゃん。だって、それがエビスの売りなんだもの。
1929年に始まった大恐慌に成長した企業は、マーケティングNOW4で書いたように、「不景気などまるで存在していないかのように、一般大衆が消費できるお金を以前と同じくらい持っているかのようにふるまった会社」なのだ。きっと、消費者は、そういった態度をとる会社からのメッセージに安心感を感じとることができたからだと思う。
参考文献:1.「小規模でも魅力ある商品を」日本経済新聞2/5/09、2.「定額給付金、使い道は」日本経済新聞1/29/09、3.リタ・カーター「脳と心の地形図」原書房、4.スティーブン・ピンカー「心の仕組み」日本放送出版協会、5.ルディー和子「マーケティングは消費者に勝てるのか?」ダイヤモンド社
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